ラジオと政治の日々

ラジオと政治が好きな中卒のボヤキと嘆きです。

綺麗事で無難にその場を切り抜ける

その言葉にどれほどの勇気が必要だったかも知らずに

文句があるなら言えばいい

罵詈雑言を浴びせればいい

綺麗事で誤魔化さないでくれ

あからさまな嘘は嫌いだ

抉られれば抉られるほど求めるものは大きくなる

そしてまた抉られる

自分に自信だって持てない

これだから人は怖い

何を求めているのかわからない

人の善意を読み違えて失敗する

そんな自分に嫌気がさす

もっとマシな人間なら

そう思う

でも無理だ

まともな人間ならどんな生き方してもいいのか

まともじゃない人間が地道にコツコツと生きたって無意味なのか

もうどんな生き方がいいのかわからない

道を外れりゃダメ人間か?

何処の誰だよ必死に道で耐えていたら排斥したのは

多数派の集団じゃないか

もちろんそれだけが理由じゃない

もうまともな道になんて戻れない

器用になんて生きれない

その場その場を乗り切るので必死だ

この生きにくさを恨む

前向きに

自分に自信を持て

そんな言葉は受け入れたくない

前向きに考えたって結果は変わらない

自信は何処かに置いてきてしまった

自信満々で失敗したら自分のダメージが大きいじゃないか

綺麗事で誤魔化したって趣旨ぐらいはわかる

要するに嫌なんだろう

じゃあそう言ってくれ

まただ

もう嫌になってきた

 

自分はちっぽけで

それでいて大きな事を目指す

おかしい

そう思う

人が幸せな世の中

そんなもん作れない

そんなこと分かってる

何が正しいのかわからない

正しいことなんてあるのだろうか

ずっと優しくて賢くて

そんな人間を目指してきた

でも実際はその逆で

どんどんどんどん暴力的で馬鹿になっていった

自分はろくでなしだ

じゃあ何を認めてあげればいい?

こんな自分のどこを

小さなころ思っていた

自分を馬鹿にしてる奴らをいつか見返してやると

でも現実はどうだ?

馬鹿にされるべきは自分だ

何にもなれなかった

ずっとひっそりと生きなきゃいけないの?

 

記録用紙

一昨日私は薬を10錠飲んだ

昨年の夏も同じことをしでかしたのにもかかわらずだ

昨年は20錠だった

今回はその半分だから大丈夫だろう

その認識が甘かった

私は弟に激怒した

漂白剤をまき散らしゴミ箱をなぎ倒した

その後床の色落ちから弟に対する暴行を糾弾されることを恐れた私はさらに大きな事を起こして有耶無耶にしようとした

その手段が精神科で処方されている薬の大量服薬だった

俗に言うODだ

その後私は意識が朦朧とする位寝た

とにかく寝た

その後の記憶はほぼないのだが母曰く意識の朦朧とした私を階段から何とか下に下ろしかかりつけの精神科に連絡しそのまま点滴、入院の流れに至ったという

何故私は毎回毎回同じ失敗をするのだろうか

我ながら馬鹿らしい

周りは尚更だろう

こんな人間が人が幸せな世の中を作りたいと言っても何一つ説得力がない

このブログは今回の出来事の記録用紙としたい

 

自分~生きにくさの一端が見えた瞬間~

転機は小3の春だった

クラス替えがあった

担任も変わった

その先生は僕の変人を認めてくれた

自由にやらせてくれた

僕のいいところを変わっているところと言ってくれた

そんな言葉生まれて初めてだった

自分は変だ

だからいけない

そんなことばかり思っていた今まで

その言葉は今も頭に残っている

僕の人生を変えてくれた言葉だ

とても素晴らしい先生だった

今までの先生では到底認めてくれなかったことも認めてくれた

例えば理科の授業で池の生き物を探すという授業だったか

僕が実際に池の中に足を踏み入れて生き物を探すことも認めてくれた

その時初めて自分の興味を探求することを知ったと思う

そのことは僕の人生に多大な影響を与えてくれたと思う

そんなこんなで小3の夏に突入した

その夏だった

確かその日は8月12日だった

2011年8月12日

僕の今までの生きにくさの原因の一端が見えた

その日僕は病院で学習障害

発達障害の一種だ

その診断を通告された

既に母は知っていた

僕が知りたくて自分で望んで聞いた

その時悲しくはなかった

寧ろ嬉しいに近いホッとしたような感覚だった

今までの生きにくさは自分のせいだけではない

脳の作りや特性も影響しているのだと

発達障害は病気ではない

病院になんかいかなくていい

薬もいらない

精神疾患も同様だ

そういう主張をする人がいる

この際僕は反論したい

病気か否かはどうでもいい

僕を分かってくれて継続的に関わってくれる

そんな人たちに会える場所の一つが病院だから

安心するから

僕を支えてくれている人たち

過去に支えてくれた人達

そんな人たちがいる場所が病院や市役所だったりする

僕の心の拠り所だ

他者にその場所に踏み入れられたくない

これが僕の率直な思いだ

そして薬はいらない

そういう人もいる

しかし僕は薬を飲むことで安心できる

体に害はない

そう断言したい

今の薬は医学や薬学その他様々な人たちが研究に研究を重ね改良を繰り返した末にある

これからもそうだろう

極めて人体への悪影響はないだろうし何しろ誰に言われて飲んでいるわけではない自分の意思だ

話は逸れたが生きにくさの一端が見えると同時に生きにくさと共存することを告げられた瞬間だった…

虚無

怠い、眠い、やる気が出ない

そんな状況に襲われる

自分は何がしたいのか

何ができるのか

反発する

何もできやしないくせに

口ばっかり達者で

死にたいわけでもない

ただ今の現状に甘んじていていいのか

そう感じてしまう

何が正しいのか

そんなことを考える

自分は何もできなくて

それなのにいろんなものに手を出して

頭が動かない

こんな文章を書くしか能がない

無駄だと思う

こんなことしてるなら何か他のことに時間を割くべき

そう思いさえする

ただ何もしたくない

想いが言葉としてあふれ出てくる

何か言語化しないと

そんな欲求に襲われる

ただただ言葉を紡がないと落ち着かない

気が狂いそうだ

今私は気が狂うか否かの極限状態なのかもしれない

書き綴るとすっきりとする

ひどい虚無感に襲われる

自分~生きにくいと自覚した頃~

生きにくさを本格的に感じたのは小学生だった

入学直後から人とどう関わればいいのかわからなかった

まず最初にやったことは唾液で風船を作ることだった

何を当時の自分は思っていたのかわからない

人と関わる術がわからない僕はニュースを真似することを選んだ

しかし当時の僕は人が死ぬようなニュースしか知らなかった

それを聞いた周りは僕が死ねと言って回っているように受け取った

僕は不本意だった

そして家で叱責された

なぜ叱責されなければならないか

強い憤りを覚えた

叱責されるたびに今ここにピストルがあったらと思った

ゲームチェンジャーがピストルだと当時の僕は思っていた

学校でも叱責された

廊下に立たされたりベランダに立たされたりした

そして軽いいじめのようなものにもあった

掃除道具を入れるロッカーに閉じ込められたりした

悔しかった

なんで自分だけがこんな仕打ちを受けなければならないかと

そんな僕の心の拠り所はよく学校に置いてあるような歴史の学習漫画だった

僕は特に明治維新以降の歴史を好んでいた

なんでこんなにできないんだろう

自分はダメな存在だ

とことんまで自己肯定感は低くなっていった

その頃から病院にも通いだした

何だか生きにくい

そう感じるようになったのもこの頃からだった

しかし小学校3年生の春に転機は訪れた…

 

自分~生きにくさと幼稚園~

自分の今までのことを書いてみようと思う

不快だ

気持ちが悪い

そんな言葉で人を傷つける

そんな世の中だ

生きにくい

そう感じたのはいつからだっただろうか

小学校の頃だっただろうか

もっと幼かった頃だろうか

多分幼稚園の頃だったのだろう

教材を使ったかたちあそびのようなカリキュラムがあった記憶がある

僕はその教材を使った授業が極めて苦手だった

その教材を箱に戻すことも苦手だった

その授業が嫌だった記憶がある

途轍もない苦痛だった

家でも生きにくさを感じた

僕の父は厳しい人間だ

僕は何かと叱責されていた

それは後々自分に辛くのしかかってきた

僕の一番の理解者かつ心の支えは母だ

父に叱責されたりパニックになって泣きわめき疲れ果てて吐き気がするほど泣き続けた僕を暖かく包み込んでくれたのはいつも母だった

これは今もとても鮮明に覚えている

泣きわめき疲れ果てた後に母に話を聞いてもらった時のあの安心感に代わる安心感や存在にはいまだ巡り合っていない

だからなのか僕の理想の女性像は母のように包容力がある女性だ

それでも何とか幼稚園時代を過ごした

これからが第一の地獄だとも知らずに…