ラジオと政治の日々

ラジオと政治が好きな中卒のボヤキと嘆きです。

自分~生きにくさの一端が見えた瞬間~

転機は小3の春だった

クラス替えがあった

担任も変わった

その先生は僕の変人を認めてくれた

自由にやらせてくれた

僕のいいところを変わっているところと言ってくれた

そんな言葉生まれて初めてだった

自分は変だ

だからいけない

そんなことばかり思っていた今まで

その言葉は今も頭に残っている

僕の人生を変えてくれた言葉だ

とても素晴らしい先生だった

今までの先生では到底認めてくれなかったことも認めてくれた

例えば理科の授業で池の生き物を探すという授業だったか

僕が実際に池の中に足を踏み入れて生き物を探すことも認めてくれた

その時初めて自分の興味を探求することを知ったと思う

そのことは僕の人生に多大な影響を与えてくれたと思う

そんなこんなで小3の夏に突入した

その夏だった

確かその日は8月12日だった

2011年8月12日

僕の今までの生きにくさの原因の一端が見えた

その日僕は病院で学習障害

発達障害の一種だ

その診断を通告された

既に母は知っていた

僕が知りたくて自分で望んで聞いた

その時悲しくはなかった

寧ろ嬉しいに近いホッとしたような感覚だった

今までの生きにくさは自分のせいだけではない

脳の作りや特性も影響しているのだと

発達障害は病気ではない

病院になんかいかなくていい

薬もいらない

精神疾患も同様だ

そういう主張をする人がいる

この際僕は反論したい

病気か否かはどうでもいい

僕を分かってくれて継続的に関わってくれる

そんな人たちに会える場所の一つが病院だから

安心するから

僕を支えてくれている人たち

過去に支えてくれた人達

そんな人たちがいる場所が病院や市役所だったりする

僕の心の拠り所だ

他者にその場所に踏み入れられたくない

これが僕の率直な思いだ

そして薬はいらない

そういう人もいる

しかし僕は薬を飲むことで安心できる

体に害はない

そう断言したい

今の薬は医学や薬学その他様々な人たちが研究に研究を重ね改良を繰り返した末にある

これからもそうだろう

極めて人体への悪影響はないだろうし何しろ誰に言われて飲んでいるわけではない自分の意思だ

話は逸れたが生きにくさの一端が見えると同時に生きにくさと共存することを告げられた瞬間だった…